不思議な話:夏のグラウンドにひそむ裏世界――少年の記憶に刻まれた夕暮れ

夏のグラウンドにひそむ裏世界――少年の記憶に刻まれた夕暮れ

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幼いころの記憶は、時に夢と現実の境目を曖昧にする。
だが、あの夏の日の出来事だけは、不思議なほど鮮明に、私の内側に沈殿している。

 小学校五年生の夏休み。
蝉時雨の降り注ぐ昼下がり、私は家の裏に広がるグラウンドで、自由研究のため「身近にいる昆虫リスト」を作っていた。
陽炎が地面を揺らし、遠くで子どもたちの歓声が風に流されていく。
草いきれと汗の匂いが混じり合い、夏という季節の輪郭が五感に染み込む。

 グラウンドの隅、錆びついた鉄の扉が、草むらの中にぽつねんと佇んでいた。
まるで誰かの忘れ物のように。
何の気なしに手をかけると、扉は重い音を立てて開いた。
中には、地中深くへと続く梯子が、闇の中に吸い込まれていた。

 冒険心が胸を弾ませる。
私は一度家に駆け戻り、押入れから懐中電灯を取り出すと、再び扉の前に立った。
足を踏み外さないよう、慎重に梯子を降りる。
鉄の手すりはひんやりと冷たく、現実の重みを指先に伝えてきた。

 足が床に着く。
そこは金網が敷かれた通路で、下には暗渠のようなものが走り、小さな水音がかすかに響いていた。
湿った空気の中に、意外にも下水のような臭気はなかった。
闇に包まれた通路は前後に伸び、私は正面へと歩き始める。

 懐中電灯の灯りが、網目模様の床と自分の影を不安定に揺らした。
二十メートルほど進んだ先で、分厚い鉄格子が行く手を塞いでいた。
その脇には、またしても梯子が口を開けている。

「もっとすごいものが見られると思ったのに……」
 心の奥で、そんな子どもじみた失望がささやく。
私は梯子を上り始めた。

 頭上の世界へ顔を出すと、私はてっきり道路を挟んだ反対側の空き地に出るものとばかり思っていた。
しかし、そこに広がっていたのは、なぜか見覚えのあるグラウンドだった。
しかも、空はすでに茜色に染まり始めている。
入ったときは確か、昼過ぎの強い日差しが照り付けていたはずなのに。

 奇妙な胸騒ぎが、背筋を撫でる。
私は急いでグラウンドから離れたが、周囲の風景がどこか微かに違っていることに気づく。

 いつもの駄菓子屋が、見知らぬ民家に変わっていた。
公民館の場所には、小さな病院の看板が立っている。
街角の道路標識さえ、見たことのない不思議なマークに姿を変えていた。

 心臓が、鼓動のたびに乱れていく。
私は家に向かって走りながら、かすかな違和感がやがて確信へと変わっていくのを感じていた。

 家の前に着く。
だが、そこもまた微妙に異なっていた。
庭には巨大なサボテンが咲き誇り、見たこともない奇抜なデザインの赤い車が停まっている。
玄関脇にはインターホンの代わりに古びたレバーが突き出し、四つ足の奇妙な置き物が立っていた。
それでも、表札には確かに私の名字が刻まれている。

 現実が静かに崩れ始めたような感覚。
まるで「間違い探し」の世界に迷い込んだようだった。

 玄関を開ける勇気が持てず、私は裏手に回って台所の窓をそっと覗いた。
紫の甚兵衛を着た父親が、なぜか学校の音楽教師と親しげに談笑している。
その光景は、私の知る日常とは決定的に異質だった。

 脳裏に、ドラクエ3の裏世界の記憶がよぎる。
「裏世界に来てしまった!」そんな幼稚な直感が、私を突き動かした。
私はパニックに陥りながら、グラウンドへと駆け戻った。
地下通路を逆戻りし、汗が冷たく背中を伝う。
二度と戻れなくなる気がして、必死だった。

 ようやく錆びた扉の外に出たとき、私は現実に戻ったことを知った。

 それ以来、私は恐ろしくてグラウンドに近づくことができなくなった。
またあの扉をくぐれば、二度と帰れなくなるのではないか――そんな不安が、心の奥底に根を張っていった。

 やがて引っ越しを迎え、その場所は私の日常から消えた。
結局、あの出来事が何だったのか、確かめることはできなかった。

 それから何年も経った。
半年前、仕事でふとその町を通りかかった。
駐車場が増え、景色は少しだけ変わっていたが、あのグラウンドは今もそこにあった。
ただ、私はその場所に近づくことができなかった。
胸の奥で、あの夕暮れの恐怖が、今もなお生々しく脈打っている。

 あれは夢だったのかもしれない。
だが、不思議なことに、あの日の空気や光の色、そして心のざわめきまでもが、細部まで私の中に残っている。
読了
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